紀元前、イスラエルの有力家長であった、アブラハムはある時神様から一つの啓示を受けます。
「アブラハムに子供を授けよう。その子孫は将来星の数のように増えて、このイスラエルの地に満ち溢れるであろう」
アブラハム100歳、妻サラ94歳。啓示を受けて後も一向に子供は授からない。信仰深いアブラハムは、その啓示が偽りなく実現されるはずと信じ、美貌の奴婢ハガルに自らの子種をやつし、それを正妻サラの膝の上で出産させることで嫡子とし(当時のイスラエルでは族長の子供に限り、子宝に恵まれない場合は、奴婢の腹を借りて子種をやつし、正妻の膝の上で出産すれば嫡子と認めるという不文律があった)、その子をイシュマエルと名付け嫡男として寵愛する。
その後、幾年かのち、今度は本当に正妻サラが身ごもり、男児を出産しイサクと名付け、二男として育てられる。イシュマエル、イサクは等しく父アブラハムに愛されて育ち、兄弟愛を育んでゆく。
しかし、正妻サラがイサクの嫡男権を主張、折り合いがつかなくなった、正妻サラと妾の立場のハガルの確執に悩んだアブラハムは、苦渋の決断ながらも、イサクの嫡男権を認め、ハガル、イシュマエル母子の追放を決心する。そして、イシュマエル、イサクに悲しい別れの日が訪れる。アブラハムとイサクが見送る中、数日の食料を手に、ハガルの故郷であるアラブに向けて砂漠の中に旅立ってゆく母子。振り返りもせず前も向いて進む母ハガルとは違い、イシュマエルは何度も振り返り、いとしい父親、弟の姿を目に残そうとする。イサクもイシュマエルの名を叫び、手を振り続ける。
その後、アブラハムの死に際して、再会したイシュマエルとイサクは二人で最愛の父アブラハムを葬った。
(旧約聖書より引用)
父アブラハムの信仰心ゆえに出生し、現実社会の確執の犠牲となって引き裂かれたイシュマエル、イサクの兄弟。時がたち、イシュマエルの子孫からマホメットがでてイスラム教の始祖となり今日に至り、イサクの子孫からはモーゼ、ダビデ王、ソロモン王、そしてイエスキリストがでて、ユダヤ教、キリスト教として今日に至っている。一方、目を転じて、最愛の妻イザナミを失い打ちひしがれるイザナギ、母への思いが断ち切れず、兄ツクヨミの治める黄泉の国に母を求めて旅立とうとするスサノオ、スサノオの来訪を誤解しそれがもとでの激しい兄弟喧嘩の末、岩戸に隠れてしまうアマテラス。
(古事記より引用)
アマテラス、ツクヨミ、スサノオ、にとってのイザナギ、イシュマエル、イサクにとってのアブラハム。
イザナギに思いをはせることはアブラハムに思いをはせることにつながり、既存の宗教権威の象徴の源として君臨し、その正統性を主張し合う彼らの子たちの家族としてのもともとの原点に立ち返り、果て度なく続く宗教対立、今日のとげとげしい権威主義に、穏やかで、温かみのある視点を与えてくれることになり、解決へのメッセージたりえる可能性を持っていると考えます。